『チェンソーマン』は、悪魔が存在する世界を舞台に、極貧生活を送る少年デンジが、チェーンソーの悪魔ポチタと契約し“チェーンソーマン”として戦う物語です。
血みどろのバトルが続く一方で、この作品の根底に流れているのは、とても人間くさいテーマ――「欲望」です。
デンジの夢は壮大ではありません。「腹いっぱい食べたい」「女の子と仲良くなりたい」「普通の生活がしたい」。
デンジはマキマという女性と出会い極貧の生活から抜け出します。それによって夢は多少なりとも叶った訳です。それでも幸せだと言い切れない。これでいいのかと思ってしまう訳です。
その姿を見て、私はふと考えました。
人間と欲望は、どう向き合えばいいのだろうか?
今日はこの作品をきっかけに、「欲」と「幸せ」について考えてみたいと思います。
欲を満たしても、幸せになれないのか?
物語の中でデンジは、「胸を揉みたい」という強い欲望を抱きます。
そしてついにその願いが叶う。
しかし・・・
彼は拍子抜けしてしまうのです。
「こんな程度のものだったのか」と。
あれほど焦がれた夢が実現したのに、胸が震えるほどの感動はない。
むしろ虚しさすら漂う。
もしかしたら、夢を叶えた瞬間よりも、「叶えたい」と願い、追いかけている時間の方が幸せなのではないか。
人生がそんなことの繰り返しだったら、「そんなのはクソではないか」と思う訳です。
この感覚、共感する人は多いのではないでしょうか。
私たちも同じです。
- あの資格を取れたら幸せになれる
- あのポジションに就けたら満足できる
- あれを買ったら人生が変わる
そう思って頑張る。
でも、いざ手に入れてみると、思ったほどの感動はない。
そしてすぐに、次の欲が生まれる。
欲は消えない。
満たしても、また次が出てくる。
それが永遠に続くのなら――
「もう頑張らなくてもいいのではないか」と思ってしまう瞬間もあるのです。
それでも人間は欲から逃げられない
物語の冒頭で、デンジは裏切られ、殺されます。
彼を殺したヤクザたちは、すでにそれなりの生活をしていました。極貧のデンジが羨むような生活をしていたのです。
それでも「もっと」を求め、悪魔に魂を売り、ゾンビになってしまう。
彼らはデンジより豊かでした。
それでも欲に飲み込まれた。
これはフィクションですが、現実世界でも似た話は珍しくありません。
地位も名誉も財産もあるのに、「もっと」を求め、身を滅ぼしてしまう人。お金が欲しいために、殺人や強盗をしてしまう人もいます。最近ですと、自分の欲を満たすために、ホストや推しなどにお金を使いすぎて身を滅ぼしてしまう人もいます。
昔も今も、人間は欲と戦い続けています。
テクノロジーは進歩し、社会は便利になりました。
しかし、欲望に振り回される構造は何一つ変わっていない。
というか、資本主義は人間の欲により回っています。多くの企業はあなたのお金と時間を奪うために、あらゆる宣伝をしてきます。彼らは人間の脳の特性なども理解しています。
私たちは知らず知らずのうちにメディアなどに洗脳され、必要ではないものを買わされてしまうのです。それを買ったら幸せになるはずが、いつになっても満たされることがない。
そして、何かを消費するにはお金が必要です。だから、好きでもない仕事を一生懸命しなければならない。そうやって、心をすり減らしているのではないでしょうか。
私たちの苦しみの多くは、結局のところ「欲」から生まれているのかもしれません。
では、欲はいらないものなのか?
デンジ自身も、自分の欲を「低俗だ」と自覚しています。
周囲にはもっと高尚な志を持つ人もいる。
それでも彼は、自分の欲のために命を懸けるのです。他人から見ればくだらない理由でも、本人にとっては本気。
高尚な欲も、低俗な欲も、本質は同じなのです。
欲は人間を動かすエネルギーです。まるでガソリンのように。
では、欲がまったくなかったらどうでしょうか。
悩みは減るかもしれない。
苦しみも少ないかもしれない。
でも――
人生はきっと、味気ない。
強すぎる欲は身を滅ぼす。
欲がなさすぎると、生きる意味が薄れる。
人間は、この絶妙なバランスの上で生きているのです。
歴史上で欲を手放そうとしてきた人たち
歴史上には、欲望そのものをなくしたり、遠ざけたりしようとする思想家も多くいます。
例えば、仏教の開祖である ブッダ は、人間の苦しみの原因は「欲望」にあると考えました。
お金や地位、人間関係など、あらゆるものに執着することで、人は悩み苦しむ。だからこそ執着を手放し、欲望に振り回されない心を持つことが大切だと説きました。
また古代ギリシャの哲学者 エピクロス も、欲を遠ざけることが幸福につながると考えました。彼は、名声や富といった過剰な欲を追い求めるのではなく、質素な生活と友情を大切にすることで穏やかな幸福が得られると説きました。エピクロスはアテネに「庭園(ケーポス)」と呼ばれる場所を作り、そこで仲間たちと共同生活を送りました。
このように、古代から多くの思想家が「欲望との向き合い方」を考えてきたのです。
でも、結局は世界全体において、禁欲的な生活が優勢になることはありません。日本においても仏教は広まっていますが、禁欲を厳格に守っている人は多くいないはずです。
エピクロス派も徐々に歴史から消えていくことになりました。
要するに、欲を完全に手放すことは、人間にとって基本的には自然ではないことなんだと思います。もちろん、人それぞれだから、禁欲が合っている人も少数ながらいます。でも、それを貫ける人はほとんどいないですし、無理にそれをやろうとすると却って不幸になってしまうのではないでしょうか?
では、どうすればいいのか?
デンジは欲を叶えても満たされませんでした。しかし物語が進むにつれ、彼は気づいていきます。本当に欲しかったのは、ただ触れることではなく、「心からのつながり」だったのではないか、と。
私自身も、似た経験があります。
何かを手に入れたのに、満たされなかったこと。
それはもしかすると、自分の「本当の欲」に気づいていなかったからではないでしょうか。
人間の中には、無数の欲が湧いてきます。
- 手っ取り早い欲
- 他人に見せるための欲
- 世間に刷り込まれた欲
それらは刺激的で、分かりやすく、すぐ掴める。
だからこそ、目が眩む。
そしていつの間にか、本当に大事にしたいものを見失ってしまう。
ちなみに、皆さんは断捨離をしたことはありますか?断捨離をすると、当然部屋がスッキリします。そして、効果はそれだけに止まりません。断捨離をするには、買うものと買わないもの、捨てるものと残すものを厳しい視点で判断していく必要があります。本当に必要なものを厳選するのです。
人間が幸せになるのに、モノはあまり必要ないと思います。断捨離によって、自分の幸福度を本当に上げてくれるものを理解する。それについては、しっかりお金を払ってでも手に入れる。その他は買わない。それによって、心も経済的にも豊かな生活になるんです。
それと同じように、「欲の断捨離」も必要なのではないでしょうか?
すべての欲を追うのではなく、本当に叶えたい欲を見極める。
そして、叶えようとする過程そのものを味わう。未来のためだけに走るのではなく、今この瞬間の情熱を感じる。
私たちは未来のために生きているのではなく、今を生きているのですから
それが、人間が欲と共に生きるためのひとつの答えなのかもしれません。
まとめ
人間は何千年も欲によって苦しめられてきました。一方で、それに対処するための方法も考え尽くされてきた。だけど、結局は現代になっても状況は変わらない。人間は案外賢くなっていないのです。
そんな中で、もちろん万人に当てはまる対処法はないのですが、自分はどうやって生きていくべきなのか考えてみることも大事です。
みなさんも、これをきっかけに欲との関係について考えてみるのも悪くないかもしれないですね。

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