あなたは「自由の刑」に耐えられるか?

感想

 今の仕事を辞めたい。好きなことをしてお金を稼ぎたい。とにかく、もう少し時間的な余裕、つまりは自由が欲しい。一日の大半をやらなくてはならない仕事や通勤、家事等に追われている…圧倒的に自由が少ない。このように感じている方も多いのではないでしょうか?もちろん、私もそう感じています。

 しかし、自由を享受するのって結構難しい。何をやってもいい自由時間にどうすればいいか困ってしまう人も多いように感じます。ずっと仕事などで忙しくしていると、自分がやりたいことを見失ってしまうこともあります。

 人間は自由を欲しながらも、自由を怖がっているというパラドックスも抱えているように感じます。これまで長い間、宗教が人類の生活に根付いてきたのも、神の言うとおりに生きる方が楽だからです。現代で言うと、上司から与えられた仕事をひたすらにこなしていく方が楽なのかもしれません。

 では、私たちはどう生きていけばいいのか?
 20世紀フランスの哲学者・サルトルの考えを参考に、自由の本質に迫ってみたいと思います。

実存は本質に先立つ

 サルトルの思想は、「実存主義」であると言われています。

 彼は、「実存は本質に先立つ」としています。実存というのは、この世界に現実に存在するということ。一方、「本質」とは、目に見えないもので、ものの場合ならば、その物の性質の総体、要するに、どんな素材であるのか、それはどのようにつくられるのか、何のために使われるのか、という総体になります。

 例えば、家や机、テレビなど、つくる人は本質を理解した上でつくります。普通、どんな素材とか、つくる手順とかを決めてからつくりますよね!?一方で、サルトルは、人に関して、それは当てはまらないと考えている。つまりは、「実存が本質に先立つ」としたのです。

弘法大師も元々すごかった訳ではないんです!

 それはどういうことか?私やあなたはまず先に実在して、自分の本質はその後で、自分自身でつくっていくということです。

 なお、18世紀においては、ルソーなどをはじめとして、「自然」を尊重する傾向にありました。哲学者たちは、「人間は人間としての本性をもっている」と考えていたのです。つまりは、人間の「実存」よりも「本質」が先立つとしていたのです。

 実存主義の考え方に立つと、自ら自分の本質をつくり上げていくので「主体性」が求められます。そして、人生において何かを「選択」する「自由」という概念、そして、それに伴う「責任」や「不安」、自分ひとりで決める「孤独」などが一連の概念としてつながる。そこに実存主義という考え方の基本的図式が浮かび上がります。

 まずは、実存主義の根本部分についてご説明しました。この話は、次につながっていきます。

人間は自由の刑に処せられている

 先ほどご説明したように、人間はまず実在して、自分自身で本質をつくり出していくのです。その過程においても、人間は自由である。自由そのものなのであるとサルトルは考えている。そして、その「自由そのもの」として世界に投げ出された人間は自らの価値を、自分自身で決めていかなくてはいけない。その一切について、責任を負うことになるのです。

 つまり実存主義者は、人間は何のよりどころもなく、何の助けもなく、刻々に人間をつくり出すという刑罰に処せられていると考えたのです。

 ここでは、「自由」という言葉が消極的に用いられています。私たちは、「自由」に対してポジティブなイメージを持っているので、少しギャップがありますね。

 確かに、選択肢が無限にある中で、自分で決断し続けていくのは苦しい…だから人生はつらいのかもしれませんね。そして、人間は自由であっても、本当の意味でそれを享受できる人は意外と少ないように見受けられる。だから、みんな仕事などで忙しくして過ごしているのかもしれませんね。忙しくしていれば、あまり深く考えず、人生を消化していくことができる。でもそれだと、セネカが『人生の短さについて』で語っているように、真に生きているとは言えない。ただ、時間を過ごしているだけだということになりそうですね。

 では、私たちはどうすればいいのでしょうか?

アンガージュマン

 まず、アンガージュマンとは「自分自身を拘束すること、自分をまきこむこと、自分を参加させること」という意味になります。これは、実存主義と切り離して考えることができない考え方です。人間は、自分の置かれている状況に拘束されて生きている。それが個人の自由の現実です。しかし、人間の実存の本質を変革することにもつながる、とサルトルは考えました。

 このように、自由な個人が主体的に行動を起こして、社会と自分自身の変革を実現させることをサルトルは「アンガージュマン」と表現しました。

 サルトルの言葉に「社会に未来を見つけなくてはいけない」という言葉があります。未来というのは、目的であり、希望であって、行動である。行動は失敗するかもしれいないし、むしろ挫折することの方が多い。しかし、挫折の中には、ほとんど見分けのつかない成功がある。希望がすっかり失われる訳ではない。進歩というのはそういう形でしか実現しないのだといいうことを述べています。

日蓮も多くの挫折を経験しながら、自らの教えを広めていきました!

個人的な想い

 サルトルの言うとおり、人間は自由なんです。だけど多くの人は、自由を感じていない。何かに縛られて生きている。お金の制約、忙しさ、人の目を気にするなど、人によって様々です。でもそれは、自らその状況を選択しているのではないでしょうか。制限があった方が、自分の人生について深く考える必要もないし、楽なんでしょう。逆に自由すぎてもどうしていいものか困るのではないでしょうか?

 そういう意味では、自由を本当の意味で享受するには、高い精神性が求められるのではないかと思います。例え無制限に時間やお金があって、人の目も気にならない状況でも、有意義に過ごせるような精神的レベルが必要となります。

 自由を享受できる人物として、私の具体的なイメージは次のとおりです。

  • 人間的に自立していること。他人の目を気にしないこと。自分の人生の目的や、やりたいことを理解していること。そして、それを実行する行動力があること。
  • お金の使い方を知っていること。無駄なものにお金を使わないこと。自分が本当に必要なものについて、お金を使うこと。本当に必要なものを理解していること。
  • ポジティブな感情に敏感であること。家族や友人などとの何気ない会話や食事を心から楽しめること。ちょっとした散歩で、新たな発見や感動を見つけられること。勉強する楽しみを理解し、深い喜びを感じられること。

 現代は、情報が溢れかえっているため、気をつけていないと、ネット上の意見や広告などに流されてしまいます。自分では自由に生きているつもりでも、いつの間にか誰かに操作されいるロボットのような人間になっているかもしれません。

 私もまだ本当の自由を手にしていないですし、自由を享受できるレベルの人間ではないのかもしれません。これらは、結構難しいミッションですが、挑戦していく価値はあるのではないでしょうか?

 私の人生の目標も、自由を手に入れ、自分が好きな文章を書く仕事などをしながら、多くの人に有益な情報を提供し、誰かの人生を少しでも明るく有意義なものにしていきたいと思っています。特に、変凡な人間が真の自由を手に入れるモデルケースにもなりたいという強い意欲もあります!!まだまだ修行中ですが、続けていきたいです♪

〈参考図書〉
NHK「100分de名著」ブックス
サルトル 実存主義とは何か~希望と自由の哲学   
  海老坂武 著  NHK出版
 

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