みなさんこんにちは!くま吉です!
さて、いつもは鎌倉を中心に歴史散歩をしている私ですが、今回は藤沢の遊行寺に行ってみました。というのも、鎌倉散策を通して鎌倉新仏教も学んでいくうちに、その中の1つである時宗の宗祖・一遍に興味が湧いたからです。
そして、今回は11月末に行きました。なぜなら、遊行寺はイチョウがきれいなことでも有名なので、その時期に行ってみたいと考えたからです。11月27日に行ったのですが、イチョウの色づき具合はばっちりでした♪12月になってしまうとちょっと遅いのではないかと思います。
その時の様子をご紹介するので、今回の記事も最後までお楽しみいただければと思います♪
遊行寺とは
遊行寺は、一遍を開祖とする時宗の総本山になります。遊行寺の創建は正中2年(1325)です。
JR東海道線の藤沢駅から歩いて約15分程のところにあります。遊行寺の脇は坂になっていて、箱根駅伝でも目の前を通りますよね!?3区と8区だったかな。箱根駅伝のコースの中でも屈指の急坂となっていて、特に上りとなる8区のランナーにとっては苦しい場所です!!
遊行寺の歴史は、藤沢の歴史と言っても過言ではありません。藤沢周辺は東海道が通っていて、藤沢宿として栄えていました。藤沢は鎌倉と京都を結ぶ街道沿いにあって、人や物が行き交うような場所でした。そして何より、鎌倉時代末頃から時宗の総本山「遊行寺」の門前町として発展してきました。
江戸時代中頃以降は、「大山道」や「江ノ島道」の分岐点として、「大山詣り」や「江ノ島詣で」の旅人の拠点となり、一生の賑わいを見せることになりました。
一遍とは
時宗の開祖。伊予(現在の愛媛県あたり)の武将である河野氏の出身。
肥前(現在の佐賀県あたり)の清水寺の僧である華台に師事し、12年間浄土教の研鑽に励む。その後、紆余曲折を経て、大阪の四天王寺を訪れ、名前を「一遍」と改名するとともに、人々を救うための札(念仏札=賦算)を配り始めます。
札を配っていた一遍ですが、熊野本宮に参籠した際に、次のような神勅を受けたと言われています。
「あなたが勧めるから往生できるのではない。阿弥陀仏の力で往生できるのであるから、念仏の信不信、また人の浄不浄を選ばず札を配るように」
このように、信じているか否かに関わらず札を配るというのが、一遍を理解する上で重要なポイントとなります。
また、一遍は「踊り念仏」を始め、遊行を16年ほど続けた後、51歳で亡くなりました。
境内の様子
さて、まず遊行寺の入口は上の写真のような感じです。門をくぐって真っすぐ行くと本堂があります。ある程度坂(いろは坂)を上っていくと下の写真のとおり大きなイチョウの木が見えてきます。
坂を上りきると、イチョウの木の奥に本堂が見えてきました!!
それにしても大きなイチョウの木です!遊行寺境内のシンボルとなっています。
どうやら、藤沢市内で一番太い木でもあるようです。かつては高さが約31mありましたが、1982年の台風で地上6mのあたりで幹が折れてしまいました。31mってどんだけでかかったんだろう…そして、樹齢については、250年以上前であることは確実とされていて、約650年~700年前くらいではないかと推定されています。
境内を散策すると、一遍上人像や手水舎があります。まずは、一遍さんに一遍挨拶しておきたいところですね。一遍の特徴としては、やせ細っていて、やや前かがみになっていると言われています。確かに、その特徴を的確に捉えている像だと感じました。
また、酒井忠重逆修六地蔵や鐘桜も味があっていいですね♪
小栗判官の墓所もあります。名前は聞いたことがあるなぁと思って、簡単にネットで調べてみたら、浄瑠璃とかで有名な人物みたいですね。伝説が語り継がれていて、実在したかは定かではないとか…今度、ちゃんと調べてみたいなぁと思います!
また、イチョウが有名だと書きましたが、モミジも少し味わえます♪
まとめ
いかがでしたでしょうか?
さすが時宗の総本山だけあって見どころがたくさんありましたね!!是非、訪れてみていただけると嬉しいです。その際には、一遍の生き方や教えを少し学んでいくと、より深く感じるものがあるはずです。
また、遊行寺のある藤沢周辺はいたるところに浮世絵のイラストがあったりと、藤沢宿の歴史を感じることができるステキな場所です。それを含めて、歴史好きには嬉しい場所でした♪
ではでは!
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