こんにちは、くま吉です!
今回は子供と二人で、保土ヶ谷駅から戸塚駅まで旧東海道に沿って歩いてみました。距離的にはとても長かったですが、いつも散歩をしている我々なので、何とかやりきることができました。
旅人にとって難所とされてきた権太坂、伝承が残る境木地蔵尊、珍しく完全な形で残る品濃一里塚など、いろいろと発見がありました♪
これからご紹介していきますので、是非最後までお楽しみください!!
概要
●保土ヶ谷宿について
江戸から4番目の宿場 保土ヶ谷宿は、日本橋から8里9町(32.4km)となります。
江戸から出発すると、旅人は海沿いの平坦な道を辿っていきますが、神奈川宿を過ぎると内陸部に入っていき、保土ヶ谷宿へと向かっていきます。そして、保土ヶ谷宿を過ぎると、江戸からきた者にとって最初の難所である「権太坂」と呼ばれる厳しい上り坂に出会います。そのため、足の弱い人や女性などは、保土ヶ谷宿に泊まる場合も多かったようです。
なお、現在の保土ヶ谷駅は、JR横須賀線と湘南新宿ラインが通る駅です。横浜駅の隣なので、何かと便利なところにあります。駅前には懐かしさを感じる商店街があったりと、様々な魅力があります。
●保土ヶ谷駅から戸塚駅までの距離・時間
距離的には約9km、時間は2時間30分程となります。
私の場合は、小学一年生の子供と写真を撮りながら歩いていたので、3時間半以上はかかりました。保土ヶ谷から東戸塚、東戸塚から戸塚というように、2回に分けて歩いてもいいかもしれないですね。
●見どころ
権太坂、焼餅坂、品濃坂など、アップダウンを感じられるコースであるところです。坂を見どころにするなんて、まさかですね!昔はもっと大変だったんだろうなぁと思いをはせながら散歩をしてみるのもいいかもしれないですね♪
散歩情報
まずは、保土ヶ谷駅を出発して、戸塚駅へと向かっていきます。最初は東口から出てしまいましたが、東口の景色を見て思うことは、保土ヶ谷って急な坂が多いですよね!?
でも大丈夫です。旧東海道の道は比較的平坦です。保土ヶ谷から戸塚まで歩くとなると、難所は権太坂ぐらいかなという感じです。戸塚から保土ヶ谷に向かうと、品濃坂や焼餅坂を上るので、少しつらいかもしれないけど…
さて、正しくは東口ではなく、西口から出発する必要があります。西口に移動してスタートです!!
権太坂
保土ヶ谷から旧東海道を歩いていくと、難所である権太坂に出くわします。『新編武蔵風土記稿』に、「その地形十丈あまりも高く、屈曲して長き坂なり。故に街道往返の人このところを難所とす…」と書かれているほどの厳しい坂であったようです。
ただし、松並木の続く景色も良かったため多くの浮世絵にも描かれました。
今はこんな感じです。やや厳しい上り坂です。
ちなみに、権太坂ってみなさん聞いたことありますか?そう、箱根駅伝を見ている方なら一度は聞いたことあるのではないでしょうか!?2区と9区で権太坂の地名が出てくるはずです!実際の権太坂を上ったり、下りたりする訳ではないですが、注目してみてください!!
また、権太坂の由来については、二つの説があります。
「老人の返事」説
ある時、旅人がこの坂で近くにいたお年寄りに坂の名をたずねたところ、自分の名前をきかれたと思い込み、「ごんたでございます」と答え、その名が坂の名になった。
「本当は権左坂」説
昔、権左衛門という人が代官の指図によりひらいてできた坂道を、その名をとって「権左坂」と名付けたものが、いつのころからか「権太坂」と呼ばれるようになった。
どちらを信じるかは、あなた次第です…
境木地蔵尊
境木地蔵尊は、ちょうど武蔵国と相模国の国境にありました。現在の状態からは分かりにくいのですが、この辺りは、保土ヶ谷からは難所である権太坂を上りきった所、戸塚からも品濃坂を上りきったところでした。そのため、見晴らしがとてもよかったようです。
また、境木地蔵尊には、次のような伝承があります。
鎌倉の由比ガ浜に漂着した地蔵菩薩を漁師が浜に祀ったところ、大雨で流出してしまい、数年後に腰越に流れ着きました。夢で地蔵から「江戸の方へ行きたい、途中で止まってしまったらそこに放置して構わない。」と告げられた漁師は、像を牛車に乗せて運んだが、当地で車が動かなくなってしまい、そこに地蔵を放置しました。ここに地蔵堂を安置したのが由来とされています。
何でお地蔵さんは、江戸に行きたかったのでしょうかね?不明な部分もありますが、面白い伝承ですね♪
さて、境木地蔵尊の向かいには、焼餅坂があります。下の写真で分からないかもしれないですが、結構急な坂なので、下りでよかったなぁと感じました。私たちの近くを自転車が猛スピードで下っていきました。気持ちよさそうだけど、事故らないようにね!!
焼餅坂は、当時の品濃村と平戸村の境にあり、約60mほどの坂道でした。坂の傍の茶店で、焼餅を商っていたので焼餅坂(別名:牡丹餅坂)と名付けられたと言われています。戸塚を描いた浮世絵には山坂や焼餅の絵がしばしば登場します。
品濃一里塚
境木地蔵尊や焼餅坂を通り過ぎていくと、江戸から9番目の品濃一里塚があります。この一里塚なんですが、神奈川県内でほぼ完全な形で残る唯一のものなんです!!かなり貴重なんですね!
昔は当然スマホとかもないし、旅人はどこまできたのか分からないだろうから、こうやって一里ごとに目印となる小さな山があったんですね。工夫を感じられます。
また、一里ってどれくらいの長さか知ってますか?実は、約3.93kmなんですよ!大体4kmと覚えておけばOKですね。
一里塚は上ることもできます。子供が行きたそうだったので、上の方までいくと公園がありました!ほとんど何もない公園ですが、一里塚に上れることなんてなかなかないので、是非立ち寄ったら上ってみてください!
品濃坂
品濃一里塚を通り過ぎていくと、品濃坂があります。ここは、JR横須賀線 東戸塚駅の近くとなります。保土ヶ谷から戸塚まではかなり遠いので、ここで中断というのも一つの手かと思います。
さて、品濃坂ですが、朝早く江戸を発ち、日暮れまでに戸塚宿へと向かう旅人には、宿場まであと一歩のところとなります。逆に、江戸へと向かう旅人にとっては、急な登り坂で、難所とされていました。
今の時代も高低差が大きいところなので、階段を下っていきます。
江戸方見附跡
江戸方見付とは、何でしょうか?
まず、見付とは宿場の出入り口のことです。ここは、戸塚宿の江戸側の出入り口です。旧東海道に設けられた見付は、宿場を見渡しやすいような施設となっていることが多いようです。参勤交代の大名らを、宿役人がここで出迎えました。
我々もついに、戸塚宿の入口まできたんだと感動しました。
今は、イオンの目の前にあります。ここまでくれば、戸塚駅まであとちょっとです。最後の元気を振り絞って歩き続けました。
まとめ
約9kmのコースでしたが、寄り道もしたので、10km以上歩いたのではないかなと思います。おかげで戸塚駅に着くころには、二人ともくたくたでした。昔の人は、1日で日本橋から戸塚宿まで歩くのが普通だったようなので、脚力がすごかったんだなぁと感心しました!!
また、「見付」とか「一里塚」とかいろいろと勉強になりました。子供も、一里塚に上ったことは忘れないんじゃないかなと思います。みなさんも是非体験してみてください♪
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