春の花も楽しむ歴史散歩@北鎌倉

歴史散歩

 今日は3月3日。
 寒い日が続きますが、徐々に春の訪れが感じられるようになる頃ですね!ただ、つらいのは花粉…とにかく花粉の時期は早く終わって欲しいですね。

 さて、この前は2月中旬に鎌倉駅周辺で梅も楽しむ歴史散歩を実施しました。その時は、わずかにしか咲いていなかったので、出直してみることにしました。今回は、鎌倉駅ではなくて、北鎌倉駅周辺になります!!

 コースは次のとおり、梅の名所を巡りながら、歴史も感じてきました!!
 東慶寺 ⇒ 浄智寺 ⇒ 海蔵寺

 ところがどっこい、浄智寺から海蔵寺に向かっているときに道に迷ってしまい、海蔵寺ではなく葛原岡神社になってしまいました。なので、海蔵寺は行ってないです…

 このような、ハプニングはありましたが、有意義な歴史散歩になりました♪今回の見どころは、バラエティーに富んだ魅力のある浄智寺です!是非お楽しみください♪

東慶寺

 北鎌倉を出て、まずは東慶寺にやってきました。ところが、なんと境内撮影禁止!!しょうがないので、入口付近だけ写真に撮りました。

 さて、東慶寺とは、どんなお寺なんでしょう!?
 開基は北条貞時、開山は覚山志道尼(北条時宗夫人)です。弘安8年(1285)に創建された臨済宗 円覚寺派の寺院となります。明治まではおよそ600年間、女人救済のお寺でした。その時代には、女性から離婚できなかった時代ですが、この寺に駆け込むことで、女性は離縁をすることができたのです。

 ここでいきなり第1問目のクイズ!
 東慶寺には、後醍醐天皇の皇女 用堂尼のお墓があるのですが、後醍醐天皇とはどのような人物でしょうか?

①摂政・関白をおかず、自分で政治をみる新政を行い、その政治は「延喜の治」として、後の天皇からも理想とされた。
②源実朝が暗殺された後に幕府の実権を握った北条義時追討を訴えて挙兵し、承久の乱を起こしたが、敗北してしまった。
➂足利尊氏らとともに鎌倉幕府を滅ぼす。その後、建武の新政を開始するが、数年で挫折することとなる。

 みなさん分かりましたか?
 正解は、➂です。

 ちなみに、①は醍醐天皇、②は後鳥羽上皇でした。
 もちろん、後醍醐天皇は、①の醍醐天皇のように、天皇中心の政治を目指した訳ですが、時代の流れを読めず、武士を軽く扱ったため、武士たちの不満が爆発することになったんですね。

 さて、境内に入ると撮影禁止なので、言葉でお伝えしていきます。ちなみに、上の写真は境内に入る前のものです。少し雰囲気を楽しめますよね♪
 鎌倉の梅といえば東慶寺と言われるほど、梅の名所として有名です。約150本もの梅の木があるようです!!
 参道沿いに紅梅・白梅が咲き、とても見ごたえがありました。さらに、わずかながらも黄梅も咲いていて、見ていて全然飽きませんでした。しかし、じっくり見ていたら、一緒にいる小学生の息子は飽きてきてしまったので、その場を後にしました。

浄智寺

 浄智寺は、鎌倉幕府第5代執権 北条時頼の三男である北条宗政がなくなった折、その菩提を弔うために1281年頃に創建されました。
 鎌倉五山第四位に列せられています。なお、鎌倉五山とは、禅宗で鎌倉時代に中国の五山制度にならって最高の格付けをされた五つの禅寺のことです。
 創建当時は、中国(宋)からの渡来僧も多く、最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達したようです。

鎌倉十井の1つ 甘露の井

 さてさて、歴史だけでなく、もう一つの目的である梅の花はどうだったのでしょうか?
 時期が悪かったようですが、ちょっぴり咲いていました。

 また、しだれ梅もあったので、タイミングが合えばいい景色が見れそうですね♪下の写真のように、わずかに咲いているのも、いとおかしですね。

 さて、ここで第2問目のクイズ!
 先ほど話題に上がった第五代執権 北条時頼とはどのような人物でしょうか?

①承久の乱では、幕府軍の主将となって自軍を大勝に導く。また、御成敗式目を制定するなどの実績も残した。
②名越光時を伊豆に流し、宝治合戦で三浦氏を滅ぼすなど、北条得宗家の権力を絶大なものとした。
③日蓮を佐渡に流刑にするなど弾圧。一方、2度元軍を撃退するなどの活躍もした。

 正解はなんと、②です。
 ちなみに、北条時頼は建長寺を創建したことでも知られていますね。

 なお、①は北条泰時、③は北条時宗になります。

建長寺の唐門。独特の柄をしていますね!

 では話を戻して、浄智寺にはたくさんの魅力があります。まずは、なんかのほほんとした雰囲気であることです。下の写真のように、かわいい字が石に刻まれています。思わず微笑んでしまいますね♪

 そして、下の写真を見ていただきたいのですが、「なんじゃこれは!?」と思いませんか?実は、一番上の先端部分からビームが出るんです!と私は想像していますが、実際に何なのかは分かりませんでした。
 これが何なのか分かる方、是非教えてください!!

 そして、次に出てくるのは、やぐらや横井戸です。
 やぐらとは、お笑いトリオ「ネプチューン」でよく司会とかやっている方ですよね…それは、名倉さんか!余計なこと言ってすみません。本当のことを言うと、鎌倉時代から室町時代にかけてよく造られた横穴式墳墓のことをです。ここのやぐらは、墓所としてだけではなく、倉庫としても使われていたようです。
 横井戸というのは、山の水を溜めて用水に使うためのもののようです。ここは、30数年前までコウモリの住家になっていたようです。

 さらに、クライマックスで鎌倉江ノ島七福神の一つである「布袋尊ほていそん」の石像に出会えます。

 それではここで第3問目のクイズ!
 この「布袋尊」は、どのような神様でしょうか?

①知恵を授け、福徳円満の人を作る福神
②出世開運、商売繁盛の福神
③仏教の四天王の一人で、病魔退散、財宝富貴の福神

 正解は、①の知恵を授け、福徳円満の人を作る福神 です。
 私はあまり賢くない方なので、知恵を授けてくださいと強くお願いしました♪願いが叶うといいですね!!なお、布袋尊のお腹をさすると何やらご利益があるようですよ!!
 ちなみに、②は大黒天だいこくてんのことで、長谷寺にまつられています。③は毘沙門天びしゃもんてんのことで、宝戒寺にまつられています。

 さて、浄智寺を出て、右側の道を真っすぐ進んでいくと、ハイキングコースに入っていきます。グーグルマップによるとこちらから海蔵寺に行けるようです。息子と一緒にハイキングを楽しみながら進んでいきます♪

葛原岡神社

 しかし、ハイキングコースを普通に進んでいくと、なぜか海蔵寺への道から外れてしまっています。結局、源氏山にある葛原岡神社に到着しました。海蔵寺への道はどこだったんだろ?と思いながらも、目的地を葛原岡神社に切り替えました。

 葛原神社は、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府討幕のために活躍した『日野俊基』を祀る神社として、明治初めに創建されました。彼は、学問に優れていたことから学問の神様として、また建武の新政への道を開いたことから、開運の神様として崇められています。

 境内には良縁にご利益がある縁結びの『男石』・『女石』があります。また、鳥居に向かって右手の石は『魔去ル石』といい、魔が去るように願いを込め、盃をこの石に充てて割れば、幸せを勝ち取れるとされています。

 我々も魔が去ってくれることをお願いし、その場を後にしようかと思いましたが、きれいな花が結構咲いています。

 カラフルでとてもかわいいので、枝をぽきって折って持って帰りたくなりました。危うく魔が差してしまいそうになりましたが、『魔去ル石』の力もあり、思い止まることができました!!『魔去ル石』ありがとうございます♪

まとめ

 いかがでしたでしょうか?
 梅の花は東慶寺が圧倒的にきれいでしたが、写真撮影が禁止だったため、その良さを十分に伝えられないのが心残りではあります。

 浄智寺は、今回の時期は特別梅の花がきれいという訳ではなかったのですが、梅以外にも多くの見どころがあり、通年で楽しめるなぁと感じました。

また、道を間違えて葛原岡神社に行ってしまいましたが、源氏山へのコースについては、子供も探検気分で楽しんでいたので、結果オーライでした♪

 全体で2時間ほどの散歩でしたが、充実した時間を過ごすことができました。興味のある方は是非行ってみてくださいね♪

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