みなさんこんにちは!足軽くま吉です!
さて、2月半ばになってきまして、一般的には鎌倉でも梅の花が咲くころだと言われています。実は鎌倉にも、梅の花がきれいな寺社が結構あるんです!知ってましたか!?
私は、横浜市に住んでいるのですが、結構いい感じに梅の花が咲いているので、今が見頃かと信じて鎌倉に行ってみました(令和6年2月18日現在)♪
今回は、鎌倉から歩いて行ける6か所の寺社をご紹介していきます。素敵な景色に出会えたのでしょうか?是非、最後までお楽しみいただければと思います♪♪
荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)
古くは荏柄天満宮とも称し、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並び、日本三天神の一つに数えられていました。
平安時代中頃、雷雨とともに天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬い、そこに神社を建てて祀ったのが始まりとされています。
さて、ここで第1問目のクイズ!
荏柄天神社の祭神は「学問の神」と呼ばれるあの人です。さて、それは誰のことでしょうか?
①聖徳太子
②弘法大師
③菅原道真
それでは、正解です。③の菅原道真でした!簡単でしたかね!?
菅原道真は平安時代の学者・政治家です。幼少のころから学問を好み、和歌や漢歌の才能にも恵まれていました。彼は、天皇の信認を得て大出世を果たしますが、身に覚えのない罪で左遷されるなど、波乱万丈の人生を送ります。
さて、境内の様子ですが、梅はわずかにしか咲いていなかったです。ここの見頃は、1月下旬~2月中旬と言われているので、遅かったのでしょうか!?
だた、境内には写真のとおり立派な銀杏の木がありました。なんと、樹齢900年程のようです。長生きですね~!!と感心していましたが、まだまだ散歩は続くので、「歴史の勉強が順調に進みますように」と神様にお願いして、その場を後にしました。
瑞泉寺(ずいせんじ)
瑞泉寺は、鎌倉公方の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列せられているお寺です。
開山の夢窓国師は、後醍醐天皇や足利尊氏も深く帰依し、鎌倉~南北朝期に禅宗で重きをなした僧です。
昭和45年に発掘、復元された仏殿背後の庭園は国師の作として、国の名勝に指定されています。
なお、境内には吉田松陰が訪れたことを示す留跡碑があります。
ここで、第2問目のクイズ!
吉田松陰とはどのような人物でしょうか?
①討幕運動の中心人物の一人。「奇兵隊」を創設した。
②「松下村塾」を設立し、明治維新を支える要人を育てた。
③初代内閣総理大臣を務めた人物。明治維新後の日本を牽引した。
それでは、正解です。答えはなんと②でした!!
吉田松陰は、江戸時代末期に活躍した思想家・教育者です。長州藩で生まれ、私塾「松下村塾」を設立。のちに明治維新を支える要人を育てました。
個人的にですが、吉田松陰の格言で印象に残ったものがあります。
「諸君、狂いたまえ」
何か大きなことを成し遂げるには、常識にとらわれてはいけない。狂っていると思われるほどの情熱を持つべきという意味だと考えています。現代社会では、出過ぎたことをやるとSNSなどで批判が集中したりします。下手すると、個人を特定されて吊し上げにあったりします。何もかも無難にやるべきという風潮も出てきて、若者も「普通になれればいい」と言っている人が多いです。それでいいのかという疑問を投げかけてくれるような言葉ですね。
なお、①は高杉晋作です。身分にこだわらずに国を守りたいと考える有志を募って「奇兵隊」を創設したんですね。「奇兵」というのは、正規の武士を意味する「正規兵」の反対語として使われています。
③は伊藤博文ですよね!松下村塾には、伊藤博文や高杉晋作など多くの要人が所属していました。吉田松陰は若くして亡くなりましたが、日本全体に与えた影響は計り知れないですね!
さて、瑞泉寺の様子に話を戻します。境内はきれいに整備されている所もよかったのですが、自然が豊かで一体化しているようなところもあり、とても居心地が良かったです♪
上の写真のような感じが個人的には好きなんですよね~♪分かります??
シンプルに美しい道が続いているような感じですね!また、無造作に苔が生えている感じも心を掴まれますね!そういえば、知り合いに「苔」に興味を持っている人がいました。その人は「苔」の違いが分かるらしいです。違いが分かると、こういう場所もさらに楽しめそうですね♪
梅は、本堂の前あたりがいい感じです。しだれ梅や黄梅などもあり、見どころ満載となっております。
杉本寺(すぎもとでら)
鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代に、行基が開いたと伝えられる鎌倉最古の寺です。行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られています。
その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われています。
杉本寺に入っていくには、階段をめっちゃ上っていきます。こちらも梅の花がきれいだということですが、時間と体力が残りわずかであったことと、梅の花がまだ早い感じだったので、入口だけ見て通り過ぎました。ごめんなさい…
浄妙寺(じょうみょうじ)
鎌倉五山第5位とされる臨済宗建長寺派の寺院です。源頼朝の忠臣で豪勇の士であった足利好兼が文治4年(1188)に創建。当初は密教寺院であったようですが、建長寺開山 蘭渓道隆の弟子である月峯了然が住職になってからは禅寺に改められ、寺名も浄妙寺となりました。なお、本堂裏の墓地には、足利尊氏の父、貞氏の墓があります。
では、ここで第3問目のクイズ!
足利貞氏の墓があるということですが、その子の足利尊氏は何をした人でしょうか?
①鎌倉攻めを行い、鎌倉幕府を滅ぼした。
②鎌倉幕府の六波羅探題を攻め落とした。
➂金閣寺を建てた。
それでは、答えを発表します。正解は、②の六波羅探題を攻め落とした でした!
①は新田義貞、③は足利義満ですね。簡単すぎましたでしょうか?
さて話を戻して、境内の特徴としては、きれいに良く手入れがされている様子でした。写真で見て分かるとおり、まだ梅の花はそんなに咲いていない状態です。
梅の他にも、桜・牡丹・サルスベリ・紅葉なども見られので、一年を通して魅力のあるお寺です。
境内は入口から奥に行くにつれて、急な坂となっており、体力的には結構削られます・・・
なお、奥の高台には「石窯ガーデンテラス」というカフェ・レストランがあります。鎌倉野菜や石窯で焼いたパンなども楽しめるので、ぜひ気になる方は行ってみてください。私も気になりましたが、少ないお小遣いで外食できないので、断念しました・・・
明王院(みょうおういん)
嘉禎元年(1235)に鎌倉幕府4代将軍 藤原頼経が創建。幕府の鬼門除けの祈願所として五大明王をまつったことから、五大堂とも呼ばれます。山寺を思わせるたたずまいの境内で、本堂前のしだれ梅も美しいようです。
今回は、残念ながら体力が尽きてしまったので、明王院まで行けませんでした…
宝戒寺(ほうかいじ)
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権 北条高時をはじめ北条一族870余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
こちらのお寺には見事なしだれ梅があるようですが、他の梅より遅咲きということでした。入口から見た感じだと、梅の花はまだあまり咲いていないので、また改めて出直すことにしました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?まだ時期的には早かったですね。荏柄天神社だけは早い時期に見頃を迎えるので、もっとはやく行った方が良かったかもしれないですが、他のところはもう少し後の方がいいと思われます。2月末~3月初めごろに出直してみたいと思います。
私もこれまでは、花と言えば桜ぐらいしか注目してきませんでしたが、梅もじっくり見てみるとかわいらしいし、種類も豊富で面白いです♪
是非、みなさんも梅にも注目して、鎌倉散歩を楽しんでいただければと思います。
コメント