超レア!?円覚寺の舎利殿を間近で目撃せよ!!

歴史散歩

 みなさんはGWをどのようにお過ごしですか?

 私は、北鎌倉の目の間にある円覚寺を訪れました。「なぜ、あえてGWに円覚寺に行くんじゃい!?」と考えている方も多いと思います。それはですねぇ、国宝である舎利殿を見学できるからなんです♪いつもは、遠くからしか見ることはできませんが、お正月やGWなどの特定の時期だけ、間近で見ることができるのです!!

遠くから見る舎利殿…普段はここまでしか近づけません

 円覚寺に何度も行ったことはありますが、舎利殿を近くで見るのは初めてになるので、ワクワクしながら行ってきました。今回は、円覚寺に絞って、じっくりと散歩してきました。その時の様子をまとめましたので、最後までお楽しみいただければと思います♪

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円覚寺とは

 弘安5年(1282)に創建されたお寺です。開基は鎌倉幕府8代執権北条時宗、開山は宋から来朝した高僧の無学祖元(仏光国師)です。蒙古襲来(元寇)で戦没した多くの霊を敵味方関係なく弔うために建てられたと言われています。

 ちなみに、円覚寺は鎌倉五山第二位に列せられています。鎌倉五山とは、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺のことを言います。私は全部コンプリートしました!

舎利殿

 さて、今回は舎利殿を目的に来たので、真っ先に向かっていきます。円覚寺に入って真っすぐ進んでいくと、舎利殿の近くまで来ました。どうやら、左に曲がるとすぐにあるようです。

 ここで、一旦舎利殿の説明をさせていただきます。
 円覚寺の舎利殿には、お釈迦様の歯牙をおまつりしているようです。マジかいなーと思いますよね!
 その由来は、第3代将軍 実朝が宋の時代、中国の能仁寺から請来したものです。この舎利殿は鎌倉にあった太平寺の佛殿を移築したもので、中国、南宋時代の建築様式に学んだ禅宗様建築の代表的な遺構です。関東大震災の時に倒壊しましたが、昭和4年に復元されました。

 舎利殿の価値が分かったところで、実際に見てみましょう♪

 さらに、門の奥へと入っていきます。ついに、いつもは一般公開されていない舎利殿を目の前で見ることができました!感激です。

せっかくなので、いろんな角度から見てみましょう!

 いかがでしたでしょうか?想いは南宋の時代へとタイムスリップできそうですね。

 私が舎利殿の前で写真を撮っていた所、60〜70歳くらいのお姉様方が、「国宝はどこだろ?」と言っているのが聞こえました!!「目の前にあるやん」とツッコミそうになりました!結局は、案内役のお坊さんが説明していたので、無事に解決です。

 ちなみに、舎利殿周辺にもいろいろと面白いものがあったので、写真に撮ってみました。普段は入れないところなので、是非ご覧ください!

謎の水盤
電灯かな?なんかおしゃれな感じでした!
意外とこういうの好きなんですよね♪
お坊さんが鐘を鳴らしていました!「ゴーン」と心に染みる響きでした。
なんか入ってみたくなる感じですね

 そして、まさかのリスと遭遇しました!どうやら、舎利殿の方に向かっています。追いかけてみましょう。

 まさかまさかの舎利殿まで飛び移りました!右側が舎利殿なのですが、1回そっちに渡って、戻っていくところです。写真の真ん中やや左上に尻尾とか見えますか?結構、リスと舎利殿の組み合わせは奇跡的なんじゃないかと思います。

白鹿洞(びゃくろくどう)

 舎利殿を見終わったので、今まであまりちゃんと見ていなかったところを中心に丁寧に回りました。

 まずは、白鹿洞。
 円覚寺開堂の日、開山無学祖元禅師の説法を聴こうとして集まった人々とともに、この洞穴より白鹿が群れをなし、禅師の説法を聴いたという伝説があります。

 「もしかしたら、鹿がいるかな?」と覗いてみますが、当然いませんでした。しかたないので、次の黄梅院に向かいました。

黄梅院(おうばいいん)

黄梅院の入口

 北条時宗公の夫人、覚山尼かくさんにが時宗公追善のために建立した華厳塔の敷地に円覚寺第15世夢窓国師の塔所として建てられ、国師の門弟方外宏遠が文和3年(1354)に開創しました。
 後の応安元年(1368)、室町幕府2代将軍足利義詮の遺骨が分骨され、足利家の菩提所としての性格を帯びるようになります。

 さて、中の様子を見てみましょう♪見どころがたくさんありました!

木造の先手観音像!珍しいですね
自然にも馴染んで、いい感じです
味のある建物です
こちらが一番奥にあります

 黄梅院は、円覚寺の一番奥にあるのですが、なんか心が和やかになるような場所なので、是非立ち寄ってみてください。

百観音霊場

 百観音霊場の由来は、養老2年(718)徳道上人が開設した西国三十三観音霊場と、鎌倉時代、観音信仰に篤かった源頼朝が開いた坂東三十三観音霊場と、その後にできた秩父三十四観音霊場の総称とされています。
 円覚寺方丈前の百観音は江戸時代に、百体の石仏を岩窟に泰安したことが由緒となり、明治に至って令北洪川老子が整備しました。

 実際に行ってみると、なんて言っていいか分からないですが、不思議な雰囲気を感じます。なんとなく、そろりそろりと歩いていきました。

 ちなみに、方丈に入るときの正門は、「唐門」と呼ばれるもののようですが、なかなか風情があります。どうやら、天保10年(1839)建立のようです。
 屋根の形が弓を横にしたような形をしていますが、これを「唐破風からはふう」といいます。松と鳥、獅子や象、扉には龍・雲など見事な彫り物が見られます。

円覚寺の自然

 円覚寺は自然豊かなお寺ですが、最近苔に注目しているので、苔特集です♪お寺と苔の組み合わせは最強だと思います!

 正直、苔ってどれも同じかと思っていたのですが、よく見ると形とか全然違いますよね!?みなさんも、できればルーペを使ってじっくりご覧ください!!

まとめ

 GWなので、ものすごい混雑が予想されましたが、朝早く行ったので、そこまで混んではいませんでした。早起きは三文の得ですね♪ただ、帰りは11時ごろだったのですが、北鎌倉駅周辺もかなり人が増えていたので、やっぱりお正月やGWあたりは訪れる時間帯を工夫した方がよさそうですね。

 今回は、時間をかけて丁寧に円覚寺を散策しました。舎利殿をついに間近で見ることができて感動しましたし、舎利殿近くの鐘の音を聞いて、耳でも楽しむことができました。さらには、自然も豊かな場所なので、年度初めの4月に疲れ切った心をリフレッシュすることができました。やっぱり、歴史散歩は、のんびり五感でいろいろ味わいながら行うのがいいですね♪

 円覚寺は私の一番好きなお寺なので、是非みなさんも行ってみてください!それでは!

最後におまけの国宝 大鐘。また見に行きました!

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