初秋の花も楽しむ歴史散歩②(英勝寺~海蔵寺~圓應寺)

歴史散歩

 みなさんこんにちは!くま吉です!

 それでは、今回は前回の続きで、初秋の鎌倉散歩の後半をご紹介していきたいと思います。

 ルートは次のとおりです。

 大巧寺⇒宝戒寺⇒浄光明寺⇒英勝寺⇒海蔵寺⇒圓應寺

 今回は後半の3寺をご紹介します。注目は、英勝寺のヒガンバナ圓應寺えんのうじの閻魔大王像です!!個人的には、後半の方が見どころ満載かと思いますので、最後までお楽しみください!

 ちなみに、前半の散歩のリンクは次のとおりです。

初秋の花も楽しむ歴史散歩①(大巧寺~宝戒寺~浄光明寺) | くま吉の歴史散歩ブログ (ashigarukumakichi.com)

 それでは、散歩のスタートです!

英勝寺

英勝寺とは

 さて、英勝寺は鎌倉駅西口から歩いて5分くらいのところにあります。

 ここでいきなり第1問目のクイズです!!
 英勝寺には鎌倉で唯一の特徴があります。それは何でしょうか?

①鎌倉で一番新しい寺
②温泉施設も備わった寺
➂花の寺として名高い尼寺

 それでは、正解です。
 ②の温泉施設も備わった寺です。確かに、美しいヒガンバナを眺めながら温泉に入ったら幸せな気分になりそうですね♪
 嘘です。③の花の寺として名高い尼寺 です。昔は尼寺だったところもあるようですが、今は英勝寺が鎌倉で唯一の尼寺となっているようです。唯一とは意外ですね。そして、嘘ついてごめんなさい!

 ちなみに、こちらは初期の江戸城を築城した太田道灌の子孫で、徳川家康に仕えたお梶の方(英勝院)が道灌の屋敷跡に建てた寺です。
 お梶の方は水戸徳川家の初代頼房の義母であったことから、水戸家の姫が住職を務めました。

 なるほど、江戸時代から続いているお寺なんですね!

境内を散策

 まず何といっても、境内のいたるところにヒガンバナが咲いていました!とてもきれいですよね!?ただ、2024年の夏が暑すぎたせいか、9月28日時点においても3分咲きのようです。下の4つ目の写真を見ていただくと、まだ咲いていないものも多く見られますね。そのため、今年のピークは10月初め頃になりそうな気がします。

 このように、ヒガンバナがきれいなので、カップルで来ている人が多かったですね。私は花や歴史を深く味わいたいので、あえて一人で来ています!!そっちの方が楽しいでしょ!?べ、別にひがんでなんかいないがな!!

 さて、くだらない話はこの辺にしておいて、花のお寺として名高い場所だけあって、他の花もきれいでしたよ~♪

 さらに、仏殿には、本尊である阿弥陀三尊像があります。こちらは、鎌倉時代の有名な仏師 運慶作と伝えられています。少し遠い位置からしか見れませんでしたが、独特の雰囲気を感じ取ることができます。結構暗いので、写真を撮るのも難しかったです…

 そして、境内をさらに巡っていると、聖観音菩薩もいらっしゃいました!縦に細長い姿が特徴的ですね!すらっとしています。

 ここで何やら怪しい洞窟を発見!!中に入れるようです!!

 中はかなり暗かったのですが、石仏が安置されていました。暗すぎて写真には撮れなかったため、写真ではご紹介できませんが、みなさんも是非行ってみてください。
 ちなみに、出口は下の写真のような感じです。

 さらにさらに、竹林エリアもあります。そこで、小さな五重塔を発見!!竹林になじんでいる感じで趣があると思いませんか?

 英勝寺は、花や仏像など多くの魅力がありましたね!?季節ごとに花もいろいろと楽しめそうなので、「また来たいなぁ」と思いながら、お寺を後にしました。

海蔵寺

海蔵寺とは

 臨済宗建長寺派のお寺で、建長5年(1253)に宗尊親王の命により、藤原仲能が本願主となって、七堂伽藍が再建されました。

 四季を通して花が咲き、鎌倉有数の花の寺として知られています。初秋のハギの他にも、春のカイドウ、夏のノウゼンカズラ、初春のウメなどが見られます。

境内を散策

 まず、三門に続く石段の両側にハギが広がっています。9月下旬なので、時期がちょっと遅かったのか、満開という感じではなかったです。そして、ハギってあまり写真映えしないんですよね!?実際に見た方がきれいかもしれないです。

 三門を通る前に、石段に向かって右手方面に「底抜けの井」があります。この井戸は、鎌倉十井の一つです。

 中世の武将の足立泰盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽりぬけたため、
「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらず」と、
うたったことから、この名がついたといわれています。
 井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)の歌です。

 三門をくぐって中に入っていくと、すぐに本堂が見えます。ここの中には、十一面観世音像などが安置されています。

 また、仏殿もあって、そこには薬師如来像が安置されています!

 ここで、第2問目のクイズ!!
 境内の近くにあるやぐらには、ある有名な人が掘ったとされる「十六の井」があります。それは誰でしょうか?

①最澄
②日蓮
➂空海

 正解は、➂空海です!!弘法大師とも呼ばれていました。

 中も写真を撮ってみましたが、かなり暗いので、シャッターが遅くなり、ちょっとぶれてしまいましたが、雰囲気だけでも伝わればと思います。

 穴が12しか見えないですが、実際には手前側も含めて16あります。弘法大師が掘ったのならすごいことですよねぇ。そして、何で16の穴を掘ったんでしょうかね!?

 謎は解けないままでしたが、次に向かうことにしました。

圓應寺

圓應寺とは

 建長2年(1250)に鎌倉大仏近くに創建され、江戸中期に現在地(建長寺の近く)に移されたお寺です。鎌倉時代の十王思想をもとに造られた十王像があることで知られ、中でも仏師 運慶の作とも伝わる本尊・閻魔大王像が有名です。

 階段を上り、門をくぐって境内に入っていきます♪

境内を散策

 境内はこじんまりとしている様子です。こちらのお寺についてはやはり、「閻魔大王像」に注目です。境内に入って真っすぐ進むとすぐに会うことができます。

 まずは、遠くからですが、閻魔大王の様子が見えてきました♪

 さて、ここで第3問目のクイズ!!
 閻魔大王像をつくったとされる運慶の作風は次のうちどれでしょうか?

①ほほの丸い顔立ちで穏やかな雰囲気が出ています。
②古典の蓄積を土台にして、独自のデフォルメが見られます。
➂平面的で衣文線も穏やかであり、華麗な着色も特徴的です。

 正解は、②です!

 ちなみに、①は定朝の説明です。彼は、いくつかの木材を組み合わせて作る「寄木造り」を開発したことで知られています。それまでは、「一本造り」が主流でした。
 また、➂は快慶の説明です。運慶と同時代の仏師ですね!

 さて、閻魔大王像を近くで見てみるとこのような感じです。ぎょっとした目が印象的ですね!?写実的で生き生きとした印象を受けます!!

 その他は下の写真のような感じでした。

運慶について

 ここで、運慶について簡単に説明していきます。彼は、鎌倉時代の仏師ですが、その背景から順番にお伝えします。

 鎌倉時代は、古代貴族政治から武家政治へと社会が大きく転換した時代です。また、政治の中心も関西から関東へと移るとともに、仏教と仏像づくりもまた大きな転換点を迎えます。浄土宗、臨済宗、日蓮宗など、「鎌倉新仏教」と呼ばれる宗派が次々と生まれたのもこの時代です。

 さて、仏像制作の観点において、鎌倉時代は、「復興とデフォルメ(誇張)」の時代と言えます。「復興」というのは、平安時代末期に平重衡による南都焼き討ち事件からの復興のことです。また、鎌倉時代、仏像制作を大きく転換させて仏師集団・慶派の基礎を築いた人物は康慶という人です。興福寺の復興事業で、天平時代の「写実的な仏像」を目指したと思われますが、結果として少々デフォルメされた、つまり「行き過ぎた写実」とも言うべき像に仕上がっています。康慶は、人体の骨格と筋肉を的確に把握した上で、「量感」を強調し、デフォルメの度合いを強めていきます。その作風は、他の慶派仏師にも受け継がれ、肉感的な力強さを表す仏像が慶派の特徴になっていきます。康慶が土台をつくった慶派仏師の写実美は運慶快慶に受け継がれ、完成していきます。

 運慶作の仏像の特徴は、古典の蓄積を土台にして、独自のデフォルメが見られるところです。今回ご紹介した作品の他に、円成寺の大日如来像、静岡県にある願成就院の阿弥陀如来坐像、毘沙門天立像などがあります。

まとめ

 後半もいかがでしたでしょうか? 

 ヒガンバナをはじめとした花がきれいでしたね!?そして、運慶作とされる仏像を2体紹介しました。特に閻魔大王の表情がとても生き生きとしていて印象的でした。何か力強さを感じましたね。写真だけでは伝わらない部分もあるので、是非ご自身の目でご覧いただけると幸いです。

 仏像の世界もはまってくると、歴史散歩がどんどん輝いてきます♪これからも一緒に勉強していきましょう!!

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