みなさんは仏像に興味はありますか?如来や菩薩の違いは分かりますか?
私はよく歴史散歩をしています。鎌倉のお寺を中心に回っているのですが、ふと仏像についてあまり詳しく知らないことに気づきました。仏像が見分けられるようになると散歩がより楽しくなるのではないかと思ったので、学んでみることにしました。今回の記事では超基本についてご説明し、次回の記事で時代区分ごとの仏像の変遷などについてお伝えできればと考えております。
それでは、最後までお楽しみいただければと思います。
仏像の種類
仏像については、下の図の4つのカテゴリーに分けられます。上にいくほど偉いという訳ですね!?
①如来
「悟りを開いた者」のことで、仏教の開祖・釈迦を表現した釈迦如来像や阿弥陀如来像に代表される。如来の表現はごくシンプルです。迷いもなく、欲もすべて捨て去った存在として、衣を一枚か二枚まとっただけの姿でつくられています。
②菩薩
いつの日か如来になることを約束された存在で、約束の日を目指して修行をしている姿で表現されます。瓔珞と呼ばれる装飾具や冠をつけていることで、如来と区別されます。
➂明王
「怒り」が顔や動作で表現されています。不動明王などの明王像があります。明王は本来、如来であり、仏教の教えを理解、実践できていない人に対して「怒り」の表現で諭しています。
④天部
仏教世界を守る役割を与えられています。釈迦が説いた教えには登場しませんが、釈迦の誕生前からインドで崇められていた古代の神の姿を拝借して誕生しました。阿修羅や帝釈店、弁財天などの像が「天部」に属します。
以上が、4つの分類になります。一番偉い如来だけ崇めればいいような気もしますが、そういう訳にはいかないのですかねぇ…
仏像が語るもの
仏像を調べていくと、その時代の歴史や文化が見えてくることがあります。今回は簡単にご説明していきます。
日本で最も古い仏像は、飛鳥時代につくられました。その時の制作者は、渡来人の子孫なので、仏像の顔つきは日本人離れしています。
白鳳時代では、初頭の仏教美術に倣ったものでしたが、この頃から若干日本風のアレンジが加えられ、顔立ちが童子っぽくなってきました。
天平時代になると、遣唐使を介した唐との交流が盛んになり、政治体制から仏教寺院のあり方、仏像づくりまで、唐の影響を色濃く受けました。盛唐で完成した写実的な仏像も日本に導入されます。
平安時代になると、唐が衰退するにつれて、遣唐使も廃止されます。この影響もあって、仏像づくりの「和様」が始まります。この流れは、仏像製作に限らず、あらゆる面で広がりを見せました。
鎌倉時代は、武士の時代です。仏師・運慶がつくる力強い仏像が誕生します。これは、運慶ら作り手側の好みであると同時に、政権を担っていた武士たちも求めたことなのです。
まとめ
仏像の種類についてよく分かっていなかったという方も多いのではないでしょうか?今回の記事で大まかな分類はご理解いただけたと思います。仏像の中でもヒエラルキーがありましたね。
また、仏像がその時代の歴史や文化を反映しているなんて、今まであまり考えてこなかったので、私自身も多くのことを学べました!
歴史散歩の楽しみ方がまた一つ増えましたね♪ではでは
コメント