あなたは、何かに本気でハマったことがありますか?
時間も忘れて、気づけばそればかり考えている。
周りからどう思われようと関係ない。
ただ、それに夢中になっている時間が、何より楽しい。
一方で、こんな感覚もないでしょうか。
「そこまでのめり込むのは危ない」
「もっと冷静に生きた方がいい」
そうやって、どこか一歩引いた場所から物事を見る自分。
実は私自身、どちらかというと後者の人間です。
仕事でも人間関係でも、バランスを取りながら生きてきました。
仕事では全体のタスクを考え、遅れが発生したりするなどの問題が起きないように進めていく。自分がやりたいことというよりも、やらねばならないことを一つ一つ潰していく感じでしょうか。あとは、上司などの顔色を伺いながら、うまく調整をしていくなど・・・純粋に仕事に熱中できている訳ではないです。最近は運良く仕事に熱中できる部分もありますが。
人間関係では、人と一緒にいる時、「話が盛り上がるかな」とか「失言はしないか」とか考えてしまいます。大勢で話している時も、話に入り込めていない人がいないかなど気になってしまい、全体を俯瞰しながらみんなが楽しめる方向に持っていこうとします。一方で、自分が本当に会話に集中し、楽しめているかというとそうでもないかもしれないです。
でも最近、ふと思うのです。
こうやって“冷静なまま”人生を終えていいのだろうか?
そんな問いを突きつけてきたのが、
『イン・ザ・メガチャーチ』という小説でした。
この作品は、「推し活」や宗教的な熱狂をテーマにしながら、人が何かにのめり込む理由と、その危うさを描いています。推し活にハマっていた人、ハマっていく人、推し活に熱狂するように誘導する運営側の人、それぞれの視点が見れるのでとても面白い作品でした。
読んでいて感じたのはシンプルなことです。
人は、情熱だけでも、冷静だけでも、うまく生きられない。
今回はこの小説をもとに、
「なぜ人はハマるのか」、そして「どう付き合うべきか」を考えていきます。
2 あらすじ
本作は、「推し活」をテーマに、視野を広げることと狭めていくことを対照的に扱っている。その中で、宗教が力を失くしつつある現代において、私たちは何を信じて生きていけばいいのかという問題や男性がなぜ孤独に陥りやすいのかといったことも描かれている。
私には、人生哲学的な部分があるように感じた。
物語では、人々が特定の価値観や人物に強く惹かれ、熱狂していく様子が描かれる。信者たちはコミュニティの中で強い一体感を感じ、人生の意味や居場所を見出していく。
しかしその一方で、その熱狂は時に行き過ぎ、時間やお金を過剰に費やすことや、外部からの視点を失う危険性も孕んでいる。運営側との関係性の中で、無自覚な依存や搾取の構造も見え隠れする。
運営側の人々は視野を広く保つようにしている。そして、どういう人間が熱狂的になるか分析し、効果的に情報を発信していく。
物語は、熱狂の中にいる人間の幸福と、その外側から見る違和感を対比させながら進んでいく。
読者は「信じることの力」と「盲信の危うさ」の両方を突きつけられることになる。
3 視野を広げることは本当に正義か?
推し活に熱中する人たちは、ある意味で視野を極端に狭めている。
好きなものに没頭し、それを中心に人生を回している。
一方で、視野が広い人はそれを冷めた目で見てしまう。
「何をやっているんだろう」と。
だが、本当にそうだろうか。
熱狂している人たちは、間違いなくその時間を楽しんでいる。
好きなことをして過ごし、同じ価値観を持つ人と濃密な関係を築く。
それは、ある意味でとても幸せな状態だ。
私はどちらかというと「視野が広い側」の人間だ。
仕事でもなるべく公平に人と接し、少し距離を取って物事を見る。
だからこそ思う。
何かに全力でのめり込む感覚を、そして、誰かと強い関係を築くことを、どこかで失っているのではないか。
子どもの頃、ゲームに夢中になっていたあの感覚。
あれは間違いなく、人生の中でも濃い時間だった。
しかし現実はどうか。
仕事、家事、育児。
責任が増えれば増えるほど、何かに没頭することは難しくなる。時間もないし、疲れているので、何かに夢中になっている場合ではないように感じる・・・
そしてバランスを崩せば、生活そのものが揺らぐ。
ここで一つ、問いを置きたい。
あなたは今、何かに本気でハマれていますか?
それとも、冷静さと引き換えに、その感覚を手放していないだろうか。
4 おじさんたちは孤独なのか?
この小説では、「おじさんには友達が少ない」というテーマも描かれている。
極端な表現ではあるが、どこかリアルでもある。
私自身、子どもが生まれてから友人と会う機会は激減した。
仕事と家庭で時間は埋まり、空いたわずかな時間は自分のために使いたい。
正直に言えば、「久しぶりに会うのも少し面倒だ」と感じることすらある。
だが、この状態が続いたらどうなるだろう。
仕事を引退し、子どもが独立した後、
自分の周りには誰がいるのか。
想像すると、少し怖くなる。
そしてここに、「ハマる理由」の一つがある。
人は、どこにも属していないと感じたとき、強い恐怖を感じる。だから、自分と誰かを繋いでくれる何かにすがりたくなる。
コミュニティ、推し、思想——そこに“居場所”を見つけるからだ。本人たちにとっては、その世界が全てであり、その居場所がなくなってしまうと、それは人生の終わりを意味するように感じてしまう。何がなんでもその場所を守らないといけないのである。
だからこそ重要なのは、極端に依存することではなく、日常の中でゆるやかなつながりを持つことだ。特に、男性は職場だけではないつながりを持つように心がける。趣味のつながり、昔からの友達、親戚など多様な関係を築いておくと孤独にはなりづらい。
頻繁でなくていい。
深くなくてもいい。
ただ、「気軽に会える誰か」がいること。
それが、過度な熱狂に飲み込まれないための土台になる。
5 人は「物語」によって動く
この作品が突きつけてくる最大のテーマはこれだ。
人は物語に引き込まれる。
推し活も、宗教も、政治も、根底にあるのは「ストーリー」である。
人は、事実だけでは動かない。
意味のある物語に、自分を重ねたときに動く。
ここで、本質を一つ言い切りたい。
人は、事実ではなく、「自分を意味ある存在だと感じさせてくれる物語」にハマるのだ。
これは強力な力である。
良い方向に働けば、人は行動し、成長し、人生を切り拓いていく。
一方で、誤った物語に飲み込まれれば、簡単に操られてしまう。
現代はSNSを使って誰でも情報発信をできる。責任を持たない人や悪意のある人も大勢いるのは紛れもない事実である。嘘や誤解に基づいた物語も多く出回っていて、最近では政治の世界でも問題になっている。企業は、自分たちの商品を売るために、嘘ではないかもしれないが誇張したストーリーを私たちに提供してくる。「これを買えば幸せになれますよ」と。
だから重要なのはシンプルだ。
他人の物語に乗るのではなく、自分の物語を持つこと。
どんな人生を送りたいのか。
どんな人間になりたいのか。
それを自分の言葉で描く。そして時には、一歩引いて問い直す。
その物語は、本当に自分のものか?
もちろん、自分の物語と合致するところで、他人の物語と共同していくこともあると思う。ただ、あくまで、人に流されるのではなく、自分の意思をしっかりと持っていること。
自分の意思があるかどうかは非常に重要である。ただ、自分の意思だと思わされている可能性もあるので、時には先ほども述べたように、客観的に見つめ直す機会は必要である。
6 まとめ——熱狂との正しい距離感
視野を狭めて熱中する生き方。
視野を広げて冷静に生きる生き方。
どちらが正しいわけではない。
重要なのは、その間を行き来できることだ。
私自身は、どちらかというと冷静側に寄っている。
だからこそ、これからは意識的に「ハマる時間」を作りたいと思う。
最後に、実践として3つだけ挙げておきたい。
- 熱中する対象は「1つ」に絞る
- 定期的に外の視点を入れる(人・情報)
- 時間とお金の上限を決める
この3つを意識するだけで、
熱狂に飲み込まれることなく、その力を活かすことができる。
冷静な人間ほど、意識的に熱狂すべきだ。
なぜなら、熱狂のない人生は楽しくないないから

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