『キングダム』から知る秦の始皇帝|生涯・支えた将軍・史実との違い

マンガ

※この記事には、『キングダム』の今後の展開につながる史実上の出来事が含まれます。

『キングダム』を読んで、始皇帝ってどんな人だったのか気になり始めた

「秦の始皇帝」と聞いて、どのような人物を思い浮かべるでしょうか?

万里の長城を築いた皇帝、兵馬俑を造らせた権力者、あるいは焚書坑儒を行った暴君。学校の歴史では、こうした少し怖いイメージで記憶している人も多いと思います。

しかし、漫画『キングダム』に登場する若き秦王・嬴政(えいせい)は、それだけではありません。戦乱を終わらせるために中華統一を目指し、信や仲間たちと困難に立ち向かう、強い意志を持った王として描かれています。

私も『キングダム』を読んだことで、「始皇帝はどのような人生を歩んだのか」「信や王翦、蒙恬たちは史実でも活躍したのか」と興味を持つようになりました。また、マンガで登場する人物と史実がどこまで一致しているのかなども気になりますよね!

この記事では、始皇帝の生涯と秦の統一を支えた将軍たちを紹介しながら、史実と漫画の共通点・相違点を見ていきます。

始皇帝の生涯――人質の子から中国最初の皇帝へ

始皇帝は紀元前259年、趙の都・邯鄲で生まれました。名は政。父の子楚(のちの荘襄王)は、当時、秦から趙へ人質として送られていました。政は、秦王の後継者として最初から安定した環境にいたわけではなかったのです。

紀元前246年、父王の死によって政は13歳で秦王に即位します。ただし、幼い王にすぐ実権があったわけではなく、政治の中心には丞相の呂不韋がいました。その後、母の愛人である嫪毐(ろうあい)の反乱を鎮圧し、呂不韋も政権から退けることで、政は自ら国を動かすようになります。

紀元前230年、秦は韓を滅ぼし、六国を相手にした最終的な統一戦争を開始しました。続いて趙、魏、楚、燕を攻略し、紀元前221年には最後の斉が降伏。政は長く分裂していた中国を初めて政治的に統一し、「王」を超える称号として「皇帝」を採用しました。自らを最初の皇帝、すなわち「始皇帝」と名乗ったのです。

統一後は、全国を中央政府から派遣した役人が治める郡県制を整え、文字、貨幣、度量衡、車輪の間隔などを統一しました。秦の王朝自体は短命でしたが、中央集権国家の仕組みは後世の中国王朝にも大きな影響を残しました。

一方で、大規模な宮殿・陵墓・道路・長城の建設には、多くの民衆が動員されました。厳格な法による統治や思想統制も行われ、始皇帝は統一者であると同時に、苛烈な支配者としても記憶されることになります。

紀元前210年、始皇帝は各地を巡る途中、沙丘で死去しました。その死はすぐには公表されず、宦官の趙高や丞相の李斯らによって後継者が操作されたと伝わります。始皇帝の死からわずか数年で反乱が広がり、秦は紀元前206年に滅亡しました。

始皇帝を支えた将軍たち

中華統一は、始皇帝一人の力で実現したものではありません。秦には、国ごとの状況に応じて戦える優秀な将軍がいました。

王翦――慎重さで楚を滅ぼした名将

王翦は、秦の統一戦争を代表する将軍です。趙の都・邯鄲攻略や燕への侵攻で功績を挙げましたが、最大の戦果は大国・楚の征服でした。

始皇帝が楚を攻めるために必要な兵数を尋ねると、若い李信は「20万」、王翦は「60万」と答えたと『史記』は伝えます。始皇帝は李信を起用しましたが、秦軍は楚に大敗。そこで王翦に謝罪し、60万の兵を預けました。王翦は無理に決戦を急がず、十分に兵を休ませたうえで楚軍を破り、楚を滅亡へ追い込みました。

私はAmazonプライムでアニメを追っているので、まだ楚を攻めるところは知らないのですが、主人公が敗北して、その代わりに王翦が楚を倒すということですよね。どのように描いていくのかが楽しみです。

派手さよりも確実性を優先する王翦の姿は、『キングダム』の冷静で底知れない人物像とも重なります。

王賁――魏を滅ぼし、統一を完成へ導く

王翦の子・王賁も、史実で明確な実績を残した将軍です。紀元前225年、魏の都・大梁を攻略。『史記』では、黄河などの水を引いて城を水攻めにし、魏王を降伏させたと記されています。

その後も燕や代を平定し、最後には李信とともに斉を攻略しました。親の七光りではなく、秦の統一を実戦で前進させた重要人物です。

マンガでは槍の使い手として描かれていますよね。また、戦略家としても優れていて、主人公の信とはタイプが全然違いますが、ライバル関係でもあります。その2人は、史実においても同年代のようで、、中国統一のために力を合わせていた訳ですね。

李信――敗北しても歴史から消えなかった将軍

マンガの主人公・信のモデルとされる李信も実在しました。ただし、出自や少年時代を伝える史料はほとんどなく、「下僕から天下の大将軍を目指した」という物語は漫画独自の設定です。

史実の李信で有名なのは、20万の兵で楚に攻め込み、大敗した出来事です。しかし、それで将軍として終わったわけではありません。その後も王賁らと燕・斉の攻略に参加しています。大失敗の後にも再び起用された事実からは、始皇帝が李信の能力を完全には見限っていなかったことがうかがえます。

とは言っても、きっとマンガの世界みたいに政と対等に会話をするような関係ではなかったはずですね。李信の出自が謎だからこそ、自由な設定ができたのかもしれません。

蒙恬――統一後の北方を守った名将

蒙恬も李信とともに楚へ出征し、敗北を経験した人物です。その後、統一された秦で大軍を率い、北方の匈奴を押し返しました。また、既存の城壁をつなぐ長城建設にも関わったとされています。

ところが始皇帝の死後、後継者争いに巻き込まれ、扶蘇とともに自害を命じられました。秦を守る力を持った将軍が失われたことは、王朝の急速な弱体化につながったと考えられます。

マンガでも統一後の世界をどのように描くのか、はたまたそこまでは続けないのか見どころですね。蒙恬は人気の高いキャラかと思いますので、最後まで描くとかわいそうな感じになっちゃいますね・・・

『キングダム』はどこまで史実なのか

『キングダム』の大きな歴史の流れは、史実を土台にしています。嬴政が若くして秦王となったこと、嫪毐の反乱、六国を滅ぼして統一へ向かう順序、王翦・王賁・李信・蒙恬らが戦争に参加したことなど、物語の骨格には『史記』などの記録が使われています

一方、登場人物の性格、人間関係、戦場での一騎打ち、細かな作戦の多くは創作です。史料には、誰がどの年にどの国を攻めたかだけが記され、人物の会話や感情が残っていない場合も少なくありません。マンガは、その歴史の空白に物語を加えています。

たとえば、史実の李信が下僕だったという記録はなく、飛信隊の存在も確認できません。楊端和は実在する秦将の名ですが、「山の民を率いる女王」という記録はありません。また、マンガで圧倒的な存在感を持つ王騎についても、似た名の秦将・王齮(おうき)の短い記録はあるものの、マンガの経歴や活躍を裏づける史料は残されていません。

だからといって、史実と異なる部分が作品の弱点というわけではありません。記録の少ない人物に個性を与え、複雑な戦国時代を信や嬴政の視点から体験できるようにしたことこそ、『キングダム』の大きな魅力です。

まとめ――史実を知ると『キングダム』はもっと面白い

始皇帝は、六国を滅ぼした征服者であり、統一国家の仕組みを築いた改革者であり、厳しい統治で民衆に大きな負担を与えた支配者でもあります。単純に「英雄」や「暴君」の一言では語り切れない人物です。

そして、その統一を実現したのが、王翦、王賁、李信、蒙恬をはじめとする将軍たちでした。彼らの史実を知ると、漫画の登場人物がどの記録から生まれ、どこに作者の想像力が加えられているのかが見えてきます。

『キングダム』を読んだ後に歴史を調べ、もう一度作品に戻る。すると、何げない人物名や戦いの結末にも別の意味が感じられます。漫画と史実を行き来できることが、歴史漫画を読む醍醐味なのだと思います。

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