小学生の息子と歩く旧東海道散歩⑥(戸塚~藤沢)

東海道

 こんにちは、足軽くま吉です!

 今回は、旧東海道散歩ということで、戸塚駅周辺から藤沢駅まで子供と二人で歩いてきました!!
 戸塚区は歴史散歩に力を入れているようで、旧東海道沿いに歴史案内板が充実しています。子供にとっては、それを見つけながら歩くのが楽しいようです♪案内板を見つけるたびに「あった!」と言って喜んでいました。

 戸塚駅から藤沢駅までは、大坂に始まって遊行寺の坂で終わりますが、その間に様々な歴史的発見があります!是非最後までお楽しみください♪

概要

●戸塚宿について
 保土ヶ谷宿を出て、境木から品濃坂を下れば戸塚宿に入ります。
 戸塚宿は、江戸からの距離がちょうど10里ほどになり、当時の成人男性が1日に歩く距離にほぼ等しいため、江戸から出発した人たちの最初の宿泊地となることが多かったようです。
 また、戸塚宿は品濃坂と大阪という2つの坂に挟まれており、東京方面と京都方面どちらに行くにしても、厳しい上り坂を越える必要がありました。
 なお、現在の戸塚駅は、JR横須賀線、東海道線、湘南新宿ライン、上野東京ライン、そして地下鉄も通っているなど、交通の便がとてもいいです。あとは、戸塚区役所が駅に直結しているので、行政手続も簡単です。結構住みやすい街という印象です。

●戸塚駅から藤沢駅までの距離・時間
 距離的には約8.7km、時間は2時間20分程となります。
 私の場合は、小学生の子供と写真を撮りながら歩いていたので、3時間以上はかかりました。想定していたよりも疲れました…

●見どころ
 横浜市戸塚区と藤沢市の境のあたりに、「影取」、「鉄砲宿」という地名があります。面白い名前だなぁと思っていたのですが、昔から伝わるお話に由来しているようです。涙なしには語れない昔話なので、是非お楽しみください。

【おまけ】歴史散歩の持ち物
 私たちは、必要最低限の荷物で散歩をしています。持っていくのは次のものぐらいです。
 ・それぞれのお茶
 ・小さなチョコレート2個ずつ
 ・一眼レフカメラ

 このうち、一眼レフカメラは、スマホの写真に置き換えてもいいです。せっかくですから散歩の思い出などを写真に収めたいですよね!?
 ちなみに、私と子供は交互に写真を撮りながら歩いていきます。小学一年生でも教えてみれば、一眼レフカメラの設定を調整しながら写真を撮るようになりました。子供の吸収力ってすごいですね!!

散歩情報

 それでは、戸塚駅周辺から藤沢駅に向かって歩いていきます。

吉田大橋

 吉田大橋は、歌川広重の「東海道五拾三次之内戸塚」に描かれている戸塚宿を代表する場所です。当時は長さ18.2m、幅4.6mの板橋だったようです。

 現在は、上の写真のようになっています。当時の様子と比べてみるのも面白いですね♪ちなみに、橋の下を流れる川は、「柏尾川」です。保土ヶ谷の方から歩いてきた場合、この橋を渡ると戸塚駅はもうすぐです!

善了寺

 戸塚駅近くに、善了寺というお寺があります。天福元年(1233)、江戸麻布善福寺の釈了海の弟子「釈了全」が開山したようです。こちらは、浄土真宗のお寺で、その宗祖である親鸞聖人像が建っています。

 親鸞については、日本浄土宗の宗祖である法然の弟子でした。つまりは、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることが大事だとしたんですね。彼は越後に流罪になったり、息子である善鸞との関係を断つなど、波乱万丈の人生を送りますが、強い信念を持って生きた人です。

詳しくは別の投稿にまとめているので、是非ご一読ください!!
逆境に負けない親鸞の生き方

本陣跡

 戸塚駅から藤沢方面に歩いていくと、本陣跡がいくつかあります。
 まずは、内田本陣跡と澤邊本陣跡。ちなみに本陣とは、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休息をできた施設です。お偉いさんだけが宿泊などできた高級宿みたいな感じですかね!?まあ、今は跡形もなくなっていますが…

 また、脇本陣跡もあります。この脇本陣というのは、本陣に差し支えが生じたときなどに利用されたものです。本陣とは異なり、大名などの宿泊がない時は一般旅客の宿泊に供することができました。規模は本陣よりも小さかったようです。戸塚宿には3軒の脇本陣がありました。

 本陣というと、戦の時に大将がいる集団のことをイメージしていたのですが、宿泊施設のことを言うんですね!?勉強になりました。

大坂

 大阪は、かつて2つの坂から成り立っていたようです。「新編相模国風土記稿」によれば、一番坂登り110m余、二番坂登り54m余と書かれています。かなり厳しい坂だったようですね。

現在の大坂の様子

 上の写真が現在の大坂の様子です。特別傾斜が厳しい訳ではないですが、上り坂が長く続くので体力を奪われます!

 また、大坂では天気の良い日に松並木から素晴らしい富士山が眺められることから、多くの浮世絵の画題となりました。上の写真は当時の様子ですが、のどかな感じでいいですね♪今は住宅だらけですが…

現在でもこの辺から富士山はしっかりと見えます!!

影取地跡と鉄砲宿

 ちょうど横浜市と藤沢市の境のあたりに「影取」、「鉄砲宿」という地名があります。そして、この地にちなんだ昔話が面白いので、ご紹介していきたいと思います。

 昔々このあたりにいた長者が自分の蔵に住み着いた大蛇を水神様のお使いとして「おはん」と名付け、大層かわいがっていました。ところが長者の家が没落し、大蛇への餌もままならなくなってきました。
 それを見た大蛇は長者様に迷惑はかけられないと、近くの池へ去ってゆきましたが、そこには十分な食料がなく、元々大食だった大蛇は空腹に耐えかねると池のほとりを歩く人の影を食べて飢えを凌いでいました。ところが影を食べられた人はだんだん弱ってしまうので、村人はこの池を影取池と呼んで恐れるようになりました。
 大蛇を退治しようとしたのですが、鉄砲を見ると大蛇は水底深く潜ってしまうので、退治できません。村人は一計を案じ鉄砲の上手い猟師に頼み、昔の長者様のように「おはん」と名を呼びました。昔の飼い主が迎えにきたと思い込んだ大蛇は姿を現すと、ついに撃ち殺されてしまいまいした。
 いつしか影取池は埋められ影取の名と悲しい話だけが残されました。この大蛇を撃った猟師が住み着いたところを鉄砲宿と呼ぶようになったと言います。

 以上が昔話になります。大蛇もかわいそうな気がしますね(涙)ただ、影を食べられて人が弱っていくのも見過ごせないので、致し方がないと言えるのかもしれないですね!!

 さて、鉄砲宿を通り過ぎると、藤沢市に入っていきます。戸塚駅から歩いてきたので体力的には限界ですが、あと遊行寺の坂を下っていけば藤沢駅!!
 しかし、ここでハプニング!!途中で息子がトイレに行きたいと言い出します。子供って、結構ぎりぎりになってから言い出すので大慌て!何とか近くのトイレに駆け込み事なきを得ます。

 長距離の歩きやハプニングを乗り越えて、無事に藤沢駅に辿り着くことができました。

まとめ

 今回は、橋、寺、本陣、坂、昔話など、選り取り見取りでしたね!?
 予想では、10kmも距離がないので楽なのかなと思っていましたが、実際に歩いてみると結構遠いなぁとという印象でした。
 体力に自信がない方やじっくり散歩を味わいたい方などは、2回に分けてもいいのではないかと感じました。バスが充実しているので、途中でも戸塚か藤沢には行きやすいと思います。

 ちなみに、今回ご紹介しなかったのですが、龍長院の不動尊や諏訪神社などまだまだ見どころはたくさんありあますので、是非いろんな魅力を探してみてください!ではでは

龍長院の不動尊
諏訪神社

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