歴史散歩が楽しくなる仏像入門②

 前回は、仏像についての超基本をご説明しました。

 今回は時代ごとの特徴などについてより踏み込んで説明をしていきたいと思います。仏像に関する知識が広がるので、歴史散歩が10倍くらい楽しくなること間違いなしです!!

 様々な発見があると思いますので、是非最後までお読みいただければと思います。

飛鳥時代

 『日本書紀』によると、今からおよそ1500年前の欽明天皇の時代に、仏教が日本に伝わったとされています。どこから伝わったのかというと、百済から伝来したようです。その理由として、当時の朝鮮半島では、百済・新羅・高句麗の三国が派遣を争っていたのですが、百済が新羅に圧迫されていたので、日本を味方につけようとしたという説が有力です。なお、仏教が日本に伝わった時、導入に賛成する蘇我氏と反対する物部氏の対立がありましたが、蘇我氏が勝ったため、日本に仏教が広まることになりました。

 さて、飛鳥時代の仏像の特徴はどのようなものでしょうか?現存する最古の仏像として、奈良県明日香村にある安居院(通称・飛鳥寺)に安置されている釈迦如来像です。こちらは、飛鳥大仏と呼ばれています。飛鳥寺の建立は、百済の工人たちが中心に担いましたが、飛鳥大仏をつくったのは日本人です。その人の名は、鞍作止利くらつくりのとりと言います。今まで日本に仏教がなかったことから、仏像をつくるのはもちろん初めてです。彼が、日本の仏像づくりの基礎を築いていくのです。

 また、飛鳥仏の代表作として、法隆寺の釈迦三尊像があります。奈良県にある法隆寺は、聖徳太子が建立したことで有名ですね!?こちらの釈迦三尊像は、取利仏師の代表作です。

 この時代の仏像の特徴は、3つあります。顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っている「アルカイックスマイル」。側面から見られることは意識せず、前方からの見た目だけ整えている「正面観照性」。そして、「左右対称性」です。

【参考】
日本最古の仏像「飛鳥大仏」は必見!奈良明日香村「飛鳥寺」 | 奈良県 | トラベルjp 旅行ガイド (travel.co.jp)

仏像 – 金堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺 (horyuji.or.jp)

白鳳時代

 仏教美術において、飛鳥時代に続く区分は、「白鳳時代」と呼ばれています。その時代を認めるかどうかは、研究者の間で意見が分かれるところですが、今回は時代区分として認める前提で話を進めていきます。

 この時代を代表する仏像の特徴を一言で言えば、「初唐様式」の影響が濃い仏像となります。唐の仏像は、盛唐時代に華麗で写実的な完成を見せますが、初唐時代はその前段階になります。角ばった頭部に豊かな頬、平板な上半身などが特徴です。日本の白鳳仏は、初唐様式を受け継ぎながらも、子供っぽい顔になるなど、日本流のアレンジが加えられていきます。

 白鳳時代の「作成基準」と呼ばれる仏像があります。それは、興福寺旧東金堂本尊の仏頭です。ふっくらとした頬、キュッと閉じず柔らかく合わせた唇は「童子」を連想させます。目元もパッチリとした杏仁形の飛鳥仏とは異なり、蒙古襞もうこひだを思わせる表現が白鳳仏の特徴です。蒙古襞とは、目頭の部分に覆いかぶさる上瞼の皮膚を指します。

 その他、白鳳時代の仏像と思われるものとして、法隆寺の「夢違観音菩薩立像」「伝橘夫人念持仏阿弥陀三尊像」、東京都調布市にある深大寺の「釈迦如来像」などがあります。

【参考】
銅造仏頭(旧東金堂本尊)(ぶっとう) – 法相宗大本山 興福寺 (kohfukuji.com)

大宝蔵院 | 聖徳宗総本山 法隆寺 (horyuji.or.jp)

国宝白鳳仏 | 深大寺 (jindaiji.or.jp)

天平時代

 天平時代とは、元明天皇が和同3年(710)に都を平城京に移したときから、桓武天皇が平安京に遷都する延暦13年(794)までの84年間のことです。歴史区分では奈良時代になるのですが、文化・美術史の区分では天平時代となります。この時代は、遣唐使を介した唐との交流が盛んになり、唐の国家体制や文化を日本は積極的に取り入れました。

 仏像の観点から天平仏のキーワードは、「写実の完成」です。飛鳥、白鳳と時代を経るにつれて、「彫刻」としての完成度が上がり、天平になってついに写実的な仏像がつくられるようになりました。如来や菩薩など、仏像は人間ではないのですが、仏像は人間の姿に近づけられていきました。より写実的になった理由としては、唐から新しい素材と技法が入ってきたからです。それにより、繊細な表現が可能となったのです。

 この時代に、聖武天皇が東大寺を建立しました。東大寺は全国の国分寺・国分尼寺を束ねるいわば総本山と位置付けられ、その本尊として巨大な廬舎那仏が造られました。つまりは、奈良の大仏ですね!

 天平時代の代表的な仏像としては、東大寺の戒壇堂に安置された「四天王像」唐招提寺の「鑑真和尚坐像」東大寺の「不空羂索観音菩薩立像ふくうけんさくかんのんぼさつりつぞう興福寺の「阿修羅像」などがあります。

【参考】
大仏殿 – 東大寺 (todaiji.or.jp)

戒壇院戒壇堂 – 東大寺 (todaiji.or.jp)

御影堂 | 伽藍と名宝 | 唐招提寺 (toshodaiji.jp)

法華堂(三月堂) – 東大寺 (todaiji.or.jp)

阿修羅像【八部衆】(あしゅらぞう) – 法相宗大本山 興福寺 (kohfukuji.com)

平安時代

・平安前期

 仏教美術においては、唐から2つの大きな流れがもたらされました。一つは、一本造の仏像もう一つは、留学僧の最澄空海が唐から持ち帰った密教の曼荼羅の流行です。顔や手足を複数持つなど、密教世界を具現化した異形の仏像も数多くつくられました。なかでも帰国後の空海に託された東寺の講堂には、密教の仏像が一堂に会した「立体曼荼羅」がつくられ、密教の理想世界を具現化しています。

 また、平安時代初期を代表する木彫仏として、神護寺の薬師如来像があります。特徴としては、肉厚でふっくらとした体形をしていて、身に付けている衣は薄く、衣を通して肉身の豊かさが表現されています。そして、注目すべきは、怒りを含んだような顔をしていることです。これは、当時貴族の争いが頻発し、相手に「呪術」をかけようとすることもよくあったため、相手からの呪いなどを防ぐ目的があったとも言われています。恐ろしい世の中ですね…

 その他、唐招提寺の薬師如来像などもこの時代の仏像として有名です。

【参考】
立体曼荼羅|東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺 (toji.or.jp)

高雄山神護寺 | 寺宝紹介 | 薬師如来立像 (jingoji.or.jp)

金堂 | 伽藍と名宝 | 唐招提寺 (toshodaiji.jp)

・平安後期

 社会も仏教も仏像も新しい流れが始まります。遣唐使制度が廃止されたことで、それまで手本としてきた唐の様式から脱し、「和洋」の文化が広まっていきます。仏像に関して言えば、平安後期に活躍した仏師・定朝じょうちょうが穏やかな雰囲気を醸し出す仏像を誕生させました。

 一方、平安後期には、釈迦の教えが廃れるという「末法思想」が流行し、社会には終末観がただよっていました。そのため、「死後の極楽浄土」を約束する浄土教が人気を集め、浄土の主である阿弥陀如来像が大量につくられました。

 この時期の代表的な仏像としては、平等院にある阿弥陀如来坐像(定朝作)三千院にある阿弥陀三尊像などが有名です。ちなみに、阿弥陀三尊像は、人が死ぬ間際に、浄土から阿弥陀如来が迎えに来てくれる様子を現しています。

【参考】
彫刻・工芸 | 世界遺産平等院 (byodoin.or.jp)

文化財|三千院のご案内|天台宗 京都大原三千院 (sanzenin.or.jp)

鎌倉時代

 鎌倉時代は、古代貴族政治から武家政治へと社会が大きく転換した時代です。また、政治の中心も関西から関東へと移るとともに、仏教と仏像づくりもまた大きな転換点を迎えます。浄土宗、臨済宗、日蓮宗など、「鎌倉新仏教」と呼ばれる宗派が次々と生まれたのもこの時代なんです。

 さて、仏像制作の観点から話を進めていきます。鎌倉時代は、「復興とデフォルメ(誇張)」の時代と言えます。「復興」というのは、平安時代末期に平重衡による南都焼き討ち事件からの復興のことです。また、鎌倉時代、仏像制作を大きく転換させて仏師集団・慶派の基礎を築いた人物は康慶という人です。興福寺の復興事業で、天平時代の「写実的な仏像」を目指したと思われますが、結果として少々デフォルメされた、つまり「行き過ぎた写実」とも言うべき像に仕上がっています。康慶は、人体の骨格と筋肉を的確に把握した上で、「量感」を強調し、デフォルメの度合いを強めていきます。その作風は、他の慶派仏師にも受け継がれ、肉感的な力強さを表す仏像が慶派の特徴になっていきます。康慶が土台をつくった慶派仏師の写実美は運慶快慶に受け継がれ、完成していきます。

 まず、運慶作の仏像の特徴は、古典の蓄積を土台にして、独自のデフォルメが見られるところです。代表作は、円成寺の大日如来像、静岡県にある願成就院の阿弥陀如来坐像、毘沙門天立像などがあります。

 次に、快慶の仏像は平面的で衣文線も穏やかです。また、華麗な着色も快慶独自の作風です。代表作は、兵庫県にある浄土寺(兵庫)の阿弥陀三尊像、京都にある醍醐寺の弥勒菩薩坐像、東大寺の僧形八幡神像などがあります。

【参考】
忍辱山 圓成寺 (enjyouji.jp)

寺宝 | 天守君山 願成就院 公式ホームページ (ganjoujuin.jp)

国宝 / 浄土寺(じょうどじ) | 小野市 観光ナビ (ono-navi.jp)

京都 醍醐寺 文化財アーカイブス|醍醐寺の国宝・重要文化財 (daigoji.or.jp)

勧進所 – 東大寺 (todaiji.or.jp)

室町時代と江戸時代

 仏像づくりは、鎌倉時代に頂点を極めたと言われているため、室町時代以降はあまり紹介されることはありません。しかし、室町時代の傑作である奈良県の長谷寺にある十一面観音像や萬福寺などに残る江戸時代の中国風仏像などは素晴らしいものがあります。

 ちなみに、江戸時代に中国からやってきた一人の僧侶が日本の仏像世界に新たな波をもたらしました。その人の名は、隠元隆琦いんげんりゅうきと言います。日本の禅宗の一つ、黄檗宗おうばくしゅうの開祖です。インゲン豆を日本に持ってきた僧侶としても有名です。

おわりに

 いかがでしたでしょうか。

 時代によってこんなにも仏像って変わるのか!?というのが正直な感想じゃないですか?
 これからは、一つひとつしっかりと観賞したいなぁと強く思いました。

 みなさんはどの仏像が好きですか?私は天平時代の鑑真和尚坐像、阿修羅像、快慶の弥勒菩薩坐像などに魅力を感じました。やはり、実際に見に行ってみたいですね。是非、みなさんも仏像に注目して、歴史散歩を楽しんでいただければと思います。

【参考図書】
『駒澤大学仏教学部教授が語る 仏像観賞入門』 村松哲文 著   集英社新書

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